2021年ももうすでに9月!
毎年9月といえば、大学3年生の時に行ったオーストラリアへの語学研修のことを思い出します。もう10年以上前だな。。
今となっては記憶もおぼろげだけど、「異文化圏の人との交流」という点で、その後の旅行の基盤となった経験のように思う。
このまま心にしまっておいても更にぼんやりするだけなので、ちょっと覚えていることを簡単にまとめられれば、と。
という訳で、今日は回顧録でーす。久しぶりに写真をみていたらびっくりするくらい粗いのだけれど、こんなにも画素数って少なかったのだろうか?!
イマドキのオシャレ写真じゃなくて恐縮ですがよろしければお付き合いくださいな。
- オーストラリアへの語学研修とお金の問題
- ホストファミリーや向こうの文化について
- 語学スクールと女子たちの目的性の違い
- 語学スクールでの授業と出会った人たち
- ブリスベンの町と放課後の過ごし方
- 語学研修で得られたもの・根付いたマインド
オーストラリアへの語学研修とお金の問題
私が語学研修に行けたきっかけは、ずばり「臨時収入があったから」という何とも棚ぼた的なものでした。
入試に合格したとき、運よく得点上位者の何割かに入れたらしく、30万円の「勉学奨励金」なるものを手にしてしまったのです。ちなみに別日程で受けたものは不合格だったので、本当にたまたま問題が良かったにすぎません...
どうせ使うなら身になることに使わないと意味がないな。と思っていたし、元々学生時代のうちに海外に行く経験もしておきたかったので、そのために使うことに決めました。
2歳の時に両親がグアムに連れて行ってくれたのですが、飛行機でギャン泣きしていた記憶しかありません。
そのため、今回が実質初海外です。
30万円の範囲内で、行けるところ。。
当時はスマホもなく、一人暮らしの私の家にはインターネット回線も引いていません。今と比べると情報量も限られています。バックパッカーという概念も知らず。
大学生協に行ってパンフレットを調べると、オーストラリアが比較的安価で環境もよく、海外初心者でもすごしやすい、ということがわかりました。
予算の範囲でできることを探していると、ちょうどピッタリだったのが短期の語学研修プラン。
30万の軍資金全てをつっこみ、夏休みも終盤に差し掛かる9月、3週間オーストラリアはブリスベンに行くことにしたのです。
ホストファミリーや向こうの文化について
語学研修プログラムなので、基本的に滞在はホームステイ。
ホストはジェームズ&リタというとても優しいご夫妻で、英語のたどたどしかった私を温かく受け入れてくれました。
私は日中は語学スクールに通うことになっていましたが、ほかは必然的にホストファミリーの家で過ごす事が多くなります。
ご夫妻には男3兄弟しかいなかったので、特にリタは私に対し、本当の娘のように接してくれました。
ホームステイの間、なるべくお手伝いをしたり、リビングにある立派なビリヤード台でビリヤードを教えてもらったり。休日には近くの海辺でやっているフェスティバルに連れて行ってもらったり。ごくわずかですが現地の”日常”に触れて過ごしました。
ホストファミリーでの生活は実にシンプルなものでした。
大体のご飯はコメを鍋で炊いたものにふかしたじゃがもや野菜、軽く味付けをした肉をワンプレートにしたもので、日本と比べるとかなり質素。
夜は家で家族と過ごした後、早めに寝る。
当時はオーストラリア全体が深刻な水不足に陥っていた時期でもあったので、入浴は基本シャワー、それも決められた時間内でのみ。満足に洗えるわけでもなく、現地の乾燥した気候も手伝って、帰国する頃には肌全体がガッサガサになったのも印象深い思い出です。
別に手の込んだことをしなくても、健全な生活はできる。そんなことを感じた生活でした。
語学スクールと女子たちの目的性の違い
あくまで語学研修の名目で行っているので、もちろん現地スクールでの勉強がプログラムとして入ってきます。
同じホストファミリーにお世話になっている韓国人のミンという男子が同じスクールに通っているので、初日は一緒に連れて行ってくれました。
入校のオリエンテーションの後、関東から来たという女子4人組に声をかけられました。なんでも、昔からの幼馴染同士だとのこと。
同日、英語レベルに合わせて初級・中級・上級クラス分けがなされました。
私は全くもって話す経験はありませんでしたが英語という"教科"自体は得意だったので、中級クラスの配属です。
中級クラスで一緒だったのはその4人の内1人で、3人は初級クラス。しかし、始まって間もないうちに中級女子が「一人だけ中級は嫌なので初級に組み直してほしい」と。。
え、海外に来てまであえてレベル落とす必要ある?この子ら何しにきたんやろ。。
最初の数日こそ、なぜだかお昼休みなどは一緒に過ごしていた記憶があるのですが、そのうち1人が私に何かと突っかかってくるようになりました。
そりゃ、友人同士の輪にいきなり得体のしれない関西女子が入ってきたら嫌だわな。
結局は友達との思い出作りにきたんだろうな。と目的性の違いを感じ、それ以来関わることはやめました。あー、ザ・女子ってめんどい。
その代わり、同じ中級クラスでも「1人で来た」という別の女子二人と仲良くなりました。
二人ともとてもいい子で、基本的にはみんな「一人」のマインドが前提であるけれど、不安なときや困ったときは助け合う。
この距離感が私には心地よく、随分と滞在中の支えになっていたように思います。
語学スクールでの授業と出会った人たち
スクールでの授業は日本とは異なり、全く勉強しているという感じがしませんでした。
中級だけれど、内容は難なく理解できるもの。その代わり、皆で輪になって英語でゲームをしたり、自分の思っていることを英語で伝えたり、とにかく「口に出す」という機会をたくさん与えてもらいました。
日本の英語教育が文法やテストのための授業ばかりで、いかに実践に即していないかということも思い知りました。
担任はケイティという白人系女性で、めちゃくちゃパワフルでフレンドリー。
一度、「現地のバスは日本と違いバス停で座っていたらスルーされる」ということを知らず1本遅れて大失敗したら真顔で叱られましたが、後には引かない気持ちのいい人でした。
クラスには韓国や中国といったアジア系に加え、コロンビアやメキシコ(だったかな?)というラテン系もいたりで、国際色が豊か。同じ日本人でもワーホリできたというお姉さんもいて、国籍や年齢もバラバラ。いい意味でカオスでした。
さっきのザ・女子ズの話をぶり返すわけではないけれど、自律してここにやってきた人が多いという印象でみんな強く、とてもカッコよかったです。
たかが3週間の学習なので劇的に語学力が上がったという訳ではありません。
それでも言葉も経歴も違う一期一会のみんなと同じ空間で過ごせたということは、その後の私にとって勇気になりました。
ブリスベンの町と放課後の過ごし方
オーストラリアの語学スクールは、授業の終了時間が14時台とても早いです(確か)。
そのため、放課後にはちょっと町を歩いたり、小さな美術館に行ってみたり、なるべくいろんなものを見てみようとしました。
とはいえ、ホストファミリーやスクールという守られた環境を離れるとわからないことばっかりで、緊張のせいかどこに行ったのかほとんど覚えていません。笑
「ブリスベンは意外とこじんまりした町だな」「気候が気持ちいいな(もはや天気の感想)」。本当、それくらいです。
結局はスクール近辺の町歩きに徹し、かの有名なゴールドコーストにも行きたかったけれど、未遂に終わりました。若き自分を恨みます。。
滞在中のお出かけで最も思い出に残っているのが、「ローンパイン・コアラサンクチュアリ」というコアラの保護施設です。
オーストラリアといえばカンガルー。そしてコアラ。
先ほどの女子二人も同じように思っていたらしく、「行ってみたいけど一人は不安」という状況と気持ちが一致し、3人で行くことにしました。
同じクラスの日本人の先輩から、「コアラはかわいいけどくさい」という忠告と行き方を受けて、いざ放課後バスに。
揺られること1時間くらいでしょうか。本物のコアラ、くさい。けど、ずっしり重みがあって、かわいい!!
園内には他にもカンガルーやウォンバット?みたいなのもいて、オーストラリアで遊んでるんだ!という旅一番の観光気分を味わいました。
今でも、一緒に行くことができた二人には本当に感謝しています。
語学研修で得られたもの・根付いたマインド
ホストファミリーとの生活、語学スクールでの経験、二人の同志との小旅行、そして女子同士の諍い。笑
これが、私のオーストラリアでの語学研修において今でも印象に残っていることです。
この語学研修で何が得られたかというと、「一人で行動する力」と「外国人を相手に笑顔でコミュニケーションをとれる余裕」だと思います。
元々一人行動は好きだったけれど、海をまたいでまでそれができる自信がつきました。
どっちかというと人見知りだし愛想もないタイプだったのに、外国の人に対して全くひるまない免疫ができました。
そしてそれらが合わさって、私の中で「旅の醍醐味=現地の人との交流」というマインドが次第にできあがりました。
この1年後に一人旅で行ったアメリカではまだ緊張が抜けず不完全燃焼な部分も多いですが、その後のモロッコ・ウズベキスタン・台湾では、やっぱり一番楽しかったのは「人」です。(台湾は「食」もですが)
3週間で英語力が格段に上がったわけでもないし、発音も自信がありません。
それでも、異文化の相互理解に通ずる部分が得られたことは、自分の中でとても大きな価値観につながっていると、今では思います。
なので、今はコロナなので簡単には言えませんが、もしこれから留学に行ってみたいと思う人はぜひそうしてほしいと思うし、そう思っているお子さんの親御さんがいたらぜひ前向きに送り出してあげてほしい。私と結果は違えど、何かしら自分の一部になることは間違いないと思うので。
2032年のオリンピックの開催地が、ブリスベンに決まったようです。
町並みは変わってないかな。リタは元気かな。もういいおばあちゃんになってる年でしょう。
仲良くなった二人とは帰国後しばらく連絡を取っていましたが、いつの間にかそれも途絶えました。
それでもラストの日にリタからもらったクマとローンパインで買ったコアラは、今でも我が家の一角に堂々と鎮座しております。
あれから少しは海外旅行に慣れた今、再びブリスベンに行ったらどんなことを感じられるだろう。
いつか答え合わせにまた、行けたらいいな。