服を、着ない。
いや、着てるんだが、真剣に本気出して着る機会がここ1年でめっきり少なくなった。
もともとファッションは好きなものの「良くも悪くも自己満足」的な考えで、ブログでもあえて書くことはなかったのだけれど、私生活であまりにもファッションに触れる機会が少なくなると無性に表現したくなりますね。。
ちょっと今日はそんな行き場のなくなった気持ちを殴り書きするようなブログです。
取り留めもなく色んな要素ごちゃまぜの内容ですが、結論、
吟味して好きなもの買おうぜ、ってことと、はよコロナ終われ、って話です。
- 私とファッション
- ファッションはカルチャー、服は創作物
- ファッションへの向き合い方と服の選び方
- ファストファッションへの違和感
- ファストファッションに次ぐサステナビリティ
- ファッションとコロナ...行き場のない服たち
- 結局は「好き」が一番のサステナビリティ
- さいごに
私とファッション
自分で言うのも何だが、昔からどちらかというと「お洒落な人」風の人間だと思われてきた方だと思う。
とはいえデザイナーズブランドに身を包んでいるわけでもなければ、トレンドに敏感なタイプでもない。自分自身、特別「お洒落」に必死になってきた訳でもない気がする。
ただ、昔から洋服の好き嫌いもはっきりしていたせいか、選ぶ服や着こなしが同世代の子たちとは少し異なり、それが「物珍しい」という形で周りの人たちの目には「お洒落」と映ったのだろう。
メンズ売り場のセールで安く手に入れたSUN SURFのアロハ。メンズのサイズ感やこういう柄ものとかも大好き。一見いかついけど、タンクトップに羽織ってずるっとロングスカートで合わせたら女子でも全然OK。
とにかく、自分がコレ!と思うものを納得いくまで探し、それをホクホクと身に着けるような人間だった。(そのアイテムを人がオシャレと思うかどうかは別問題)
ファッションはカルチャー、服は創作物
かといってファッションに興味がなかったかというと、そうではない。
むしろ、大好きだった。なんというか、人とは異なる魅せ方や今までにないデザインに触れるとワクワクしたし、そういうものを見たり発見したりするのが好きだった。
仕事柄、ゼロからデザインを生み出すクリエイターにお会いする機会ができてからというもの、それに対する気持ちはより神聖さを含むようになっていった。
ファッションは歴代のクリエイターが紡いできた一種のカルチャーであり、洋服はそんな思いや生みの苦労を反映した創作物。
大げさだけど、ファッション=慈しむべきもの、という意識が自分の中に強くなっていった。
ちなみにアーティストが模倣されていたりメッセージ性のあるデザインとかも好き。ただし一度着たら結構な確率で覚えられる...
ファッションへの向き合い方と服の選び方
そんな思いを抱え、20代半ばくらいから洋服の選び方も徐々に変わってきた。
それまでだったら「ピンと来たか」「自分らしいか」とかそんな基準がメインだったのだけれど、そこに、作られた服に対して、「長く愛着を持って着られるか」という指標が加わるようになった。
元々の倹約思考もあいまって、どうせだったら厳選して購入した「これだ」という一着一着を、ちゃんと着る。
左:旦那にもらった服。コロナでほとんど着れていない...。右:MARcourtで5年前に¥20000ほどで買ったビッグシャツ。少々高いと感じても愛着を持てそうだったら買う。
もちろん中には着倒してボロボロになって手放したものもあるけれど、そうして取捨選択しているうちに、ワードローブは「本当に好きなもの」で統一されるようになっていった。
ファストファッションへの違和感
ちょうど同じような時期、ファストファッションが全盛期を誇っていた。
ユニクロやGUを始め、ZARA、H&M、FOREVER21、Bershka...
ファストファッションは、短期サイクル・大量生産のトレンド重視型の業態。頼りない素材や縫製でできたデザインを刹那的に売り出す...私の思考とは真逆を行く考えだった。
もちろん、私もZARAやユニクロにはよくお世話になるし、むしろ大好きである。だがそれも先述の通り、間に合わせで買うのではなく、吟味して、本当に「クローゼットに迎えたい!」と思うものを購入するというもの。
両方ユニクロ。左:今年の+Jのシャツで、メンズのSサイズ。個人的にユニクロはメンズの方が好き。右:3年ほど前のもの。ノースリワンピだが、ボタン全開でロングベスト風にして着ている。プリーツがかっこいい。
「ファストファッションは1シーズンで潮時」「捨てられる前提の服」というのを知って、正直信じられなかった。(決して購入する方を批判しているわけではない)
ファストファッションに次ぐサステナビリティ
数年前までファストファッションが続いていた記憶があるのだけれど、それと入れ替わる形で見かけるようになったのが「サステナビリティ」である。
持続可能な社会を作るためのキーワードで、ファッションでいうと「衣服ロスを減らす」とか「資源の無駄を防ぐ」とか、そういうやつ。
最近では色んな女性誌とかでもよくみられる言葉だけど、数年前までファストファッション推しだったのにいきなり表紙に「サステナブル」を謳っているものもちらほら見かけたり。
言葉を濁さず言うけど、すげー寝返りやな...。って思わなくもない。
雑誌に関わらず、散々ファストファッションでトレンドを煽るだけ煽って、今更サステナブルを良しとするんだったら、最初から「無駄にしない」消費、もとい投資の仕方を示せばよかったのに。
…正直そんな気はしている。
ファッションとコロナ...行き場のない服たち
それとは関係なく、よくも悪くも私は変わらず自分の購入スタイルを貫いていた。
メーカーブランドだろうがファストファッションだろうが、厳選された「好き」を着る。
相変わらずワードローブは思入れのある洋服ばかりで満たされ、徐々にコレクションが増えていくような気分だった。
そんな中、昨年起こったのがコロナの流行。
外出がしづらくなり、身に着ける衣類は家用の服ばかりになり、大事にしてきたアイテムを着る機会がめっきり減ってしまった。それまでは比較的服装自由の職場に勤めることが多かったけど、そんな仕事着でさえ着用することがなくなった。
仕事の時に大活躍していたシャツたち。私服のインナーとしても着用していたけど、最近は着てあげられていない。。
今まで大事にしてきた服たちも、日の目を見ることがガクッと減ってしまった。
お気に入りのアウターも数えるほどしか着られていないものが多々あるし、旦那がホワイトデー兼資格試験のお祝いにくれたシャツも、残念ながら1度しか着ていない。
コロナ禍でも気分をアップデートするために購入した数少ない洋服たちも、結局は数回しか日の目を見れていない。
先ほどのユニクロ+Jのシャツに、MARcourtの膝丈くらいまであるニットベスト。両方今シーズンの購入物だけど、残念ながら1回しか着てあげられていない...TT
おいコロナ!服たちどうしてくれんねん。活躍の機会をなにつぶしてくれとんじゃ。
もちろんここの写真以外にも多くの眠っている服たちがいるのに、ちゃんと着てあげれない。。
最近は、そんな悲しい気持ちでいっぱい。
結局は「好き」が一番のサステナビリティ
とはいえ、一時のトレンドや物欲で服を購入していたわけではないので、仮にコロナが収束しても、変わらずそれらの服を楽しんで着ているような気はする。
元々好きな方向性がはっきりしていて、ファッションへの愛着を持てた結果、こんな風に思えるアイテムを手元に置いてこられたのはある意味幸せなのではないかと思う。
大好きなロングシャツシリーズ。左から、ユニクロft.ルメール(5年前)・LE GLAZIK(4年前)・Jhonbull(6年前)。Jhonbullのはアウターとして現役大活躍。基本、黒・青・カーキ系のアイテムをメインに上下ゆるゆるで着るのが好き。
こういった考え方をしてきて思うこと。それは、なんだかんだ本当に「好き」なものを選ぶことが一番のサステナビリティにつながってるんじゃないかっていうこと。
そうしたら無駄な買い物はしないし、長期的にモノを利用できる生活が送れる。
この考えが正解かはわからないけれど、「サステナブル=流行りのもの」という表面的な志向が強くなる前に、本質的な部分で各自が自分なりに落とし込めるようになればいいなと思う。
さいごに
ちょっとここまで偉そうに書いてきたけど、私が正しい・お洒落・最先端だといいたいわけでは決してない。
最初に述べたように、好きなことを納得いくようにしているだけだから。
でもどうせだったら、自分にも、クリエイトする側にも、社会にも、win-win-winな輪っかができればいいよね、という話です。
最初に言った通り、取り留めもまとまりもない雑記になってしまったけれど。。
とりあえず、コロナ、はよ終われ。こだわって選んできた服たちを早く着たいんだよ。
これからもファッションをにわかに愛する凡人として、好きなものに囲まれた生活に憧れたシンプリストとして、こういった「好き」の感覚は大事にしていきたい。